物流の要として

北海道の特産品を東京にいながら食べられる。
これは、今から数十年前にはあり得ない状況でした。
特産品は、地元でしか食べられないという常識を覆したのです。

 

覆された常識は、宣伝手段の1つとして新たな経済的効果を生みます。
このような状況を可能にしたのは、物流の発展のおかげです。
物流というと、船や飛行機をイメージする人が多いかもしれません。
たしかに、空と海を航路とすることで、物流は大きな進化を見せました。
ただ、今現在でも空港や港から運ぶ手段としてはトラックが一般的です。

 

街を散歩したとき、どんな道を通っても高い確率でトラックに遭遇します。
空路や海路でいくら時間を短縮しても、
肝心の現場に辿りつけなくては意味がありません。
鮮度が命の食品なら、なおさら陸路での運搬が重要になります。
日本の経済は、トラックの歴史と共に発展してきたといっても過言ではないのです。

 

トラックを手に入れたいと考えたとき、まず思いつくのが中古トラックです。
中古トラック無しで物流は語れないと言えるほどに、重要な市場なのです。

 

中古ということは誰かの使用済みということになります。
現在では街でトラックを見かけることも当たり前ですが、
日本におけるトラックの歴史は案外短いのです。
その歴史の短さと比例するように、中古トラック市場は乗用車に比べて小さくなっています。
小さな市場では、中古車の買い手も少ないため、
賢く立ち回らなければ安く買いたたかれてしまうことも少なくありません。
トラックの日本における発展の歴史と、中古トラック売買のポイントを詳しく見ていきましょう。

国産トラックの始まり

明治維新以降、富国強兵のスローガンによって日本の工業化が押し進められました。
そんな中、軍用兵器ではなかったトラックは、20世紀にようやく輸入されます。
最初に輸入されたのは、三井呉服店というお店が運搬用に購入したものです。

 

民間レベルではトラックという言葉に馴染みが無く、
この時代には中古トラック専門店は存在しませんでした。
軍部では、日露戦争以降自動車の生産が急がれました。
それまでは、陸上の補給はすべて馬車で行っていたのです。
馬車の場合、敵に襲撃されると甚大な被害を生むだけでなく、馬や人間が大きく疲労します。
これを避けるために、大量の荷物を1度に運べる自動車の生産に着手したのです。

 

1907年には、陸軍に自動車研究機関が設置されました。
外国産のトラックを輸入し、同じようなものを作ることから始まります。
当時の日本には、自動車が走ることを想定した道路はなかったことが、落とし穴となりました。
試験運転のときには、道を拡大し橋を架けることでようやく走破したのです。
軍部の目的は、あくまで戦争に使えるトラックの生産です。

 

第一次大戦以降、その勢いはさらに強まっていいきます。
軍部は、民間によるトラック製造を奨励していました。
生産や維持にかかるお金を補助していたのです。
ただし、奨励する分、軍部の号令によってトラックが徴発されることもありました。
当時は、国を挙げてトラック生産に力を入れていたのです。

 

国によって軍事自動車保護法の適用を受けたのはTGE、スミダ、ダットという3種類のトラックでした。
この国産トラックの開発には、多額の補助金を援助されました。
日本の工業化の火付け役として期待されていたのです。

 

 

更新履歴